こばま荘について

Guest house こばま荘

Story

1968年、離湖という京都府で一番大きい湖の側に祖父母の平屋の家があった。平屋の家は普通の民家。そのお隣さんが民宿をやっており、よくオーバーブッキングをおこした。(予約を客室以上に入れてしまった。)その結果、その民宿のオーナーがたびたび祖父母の家に素泊まりでお客様を泊めてやってと依頼があった。それが母ちゃん民宿「谷口荘のはじまり」当初は、素泊まり専門。朝食は祖母が作っていた。部屋は6畳×2。次第にお客様が増えていき、夕食は藤右衛門という祖母の実家の仕出し屋からもらっていた。6畳2部屋では客室として少なく、平屋を2階建てに建て増し。それから12年くらいが経過し、1980年、今のこばま荘の場所へ移動。当時、球根畑だった土地を祖父が40歳くらいの時に即答で購入した。そして今の本館を建て、新館の場所(フロント、風呂場の建物)は1997年購入、平屋があった場所に本館を建てた。1997年11月、現在の割烹の宿こばま荘をオープン。当時は温泉がなく、人口の温泉を使用。(白い石のようなものを敷き詰めた温泉)2年後くらいに祖父らが温泉を発掘。割烹の宿こばま荘の営業状況は、当時景気がよかったということもあり、繁盛したらしい。当時はネットもなく、新聞広告が盛んにおこなわれていた。広告にのせる当館のロゴを準備しておらず、広告代理店の社長が即興で考えた魚のシンプルなマークをロゴとして掲載。意外にもそのシンプルなデザインがうけ、電話の回線3つが夜遅くまで鳴りやまなかったこともある。全盛期は従業員30人(厨房は4人)、客室9部屋40人、夜11時ごろまで仕事をした。昼も多くのお客様があり、早朝から深夜まで休む暇がなかったようだ。また部屋食であったため、食事の準備、片付け、布団敷き等大変だったようだ。現在は、1日食事2組、ゲストハウス3組ほどで営業中。母ちゃん民宿から、割烹の宿、そして、新しいタイプの宿へと進化している途中である。

湯右衛門(toemon)について

2023年12月にオープンした湯右衛門、Guesthouseこばま荘の別館の名称である。北欧をイメージした「星湯」、和をイメージした「灯湯」とタイプの違う2部屋。どちらも源泉100%かけ流しの温泉、シモンズ製ベッド2台、簡易キッチン、トイレ洗面所付きである。非日常の空間でありながら、日常の暮らしも快適なお部屋。近くの海に散歩へ行き、温泉に浸かり、リラックスしてお過ごしいただきたい。湯治も1つのテーマとなっており、長期滞在もおすすめ。こばま荘同様、湯右衛門も地産地消は大切にしている。湯右衛門の改装工事では地元の設計士さんをはじめ、業者関係もすべて地元の方にお願いした。京丹後には素敵な人が多く、皆様にもぜひ湯右衛門を拠点に京丹後の素敵な人に会ってほしい。